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▼でも俺的には2000より21000なのです。
▲JR和歌山線と接続の橋本を発車する、21007他上り難波ゆき急行。
21000系の高野線急行は、正面の“マル急”札以外に行先表示の類はいっさいなく、
ある種不親切極まりなかったが、反面それが味でもあった。
南海のズームカーといえば、私にとっては何をさておきこの21000系になります。
田舎のボロ私鉄やツリカケの旧型車にしか興味のなかった時分でも、
いわゆる新性能電車のなかで、珍しく胸を張って“好き”といえる車輛のひとつでした。
昭和30〜40年代の南海電車特有の奥ゆかしいスタイルもさることながら、
最急勾配50パーミル・最急曲線半径101mという過酷な山岳線に挑むという
その使われ方にも心惹かれるものがあったのです。
彼らは表紙でお目にかけた後継車2000系の増備により、'90年代前半に南海線上から
姿を消しましたが、最後の日まで支線転用などに供されることなく(注)、高野線直通急行という
本来の使命を貫きとおしており、ある種幸せな電車だったといえるでしょう。
私が南海時代の姿を見に行けたのは数回ほどにすぎませんが、
その後一部が大井川や一畑で余生を送っているのはご同慶の到り。
とくに大井川で南海時代の塗色のままの編成が今なお見られるのはうれしいことです。
| 上:終着・極楽橋にて居並ぶ21000系。/右:電制音も高らかに山深い高野線を下る。場所はたしか紀伊細川のあたり。 |
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写真すべて 1987.9.2/Canon F-1, FD100mmf2.8s.s.c., KR
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(注):21000系は、晩年和歌山港線などの支線区に都オチした
仲間も一部いたようです。よく調べてから書けっての>俺(*_*;)
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